サーキットスタッフは全員が本業もちのため平日は週1〜2日しか営業できません、悪しからずご了承下さい。

■岩田 義通・愛子
孫もいる老夫婦ですが、まだまだ元気に動けます。通称「大工のオジサンと明智の母」。

■坂本 智彦
10代の頃、全盛期の明智をNSR50やTZM50で攻めていた。明智の営業マネージャー。

■加藤 潤
20年以上明智を走り続けている明智の生き字引。明智の設備マネージャー、通称草刈隊長。
■神谷 広行 Blog
その昔明智を走っていた。最近は軽トラレースに熱中、通称草刈副隊長。
■二村 宏貴 Blog
開業当時明智を走っていた真面目で優しいビッグマン。最近またレースに復活している。
■坂本 篤史
マネージャーの実兄、普段はレンタルAPEの整備に余念がない。
■本 義弘
小藤氏経営時代にレース運営等に関わっていた。最年少スタッフ。


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■坂本 智彦
競技長兼実況MC担当。
■加藤 潤
進行/技術担当。
■富樫 崇郎
計時/コース担当。
■神谷 広行
コース担当。
■二村 宏貴
コース担当。
■梅村 新次
コース担当。
■近藤 一磨
計時/コース/レポート担当。
■坂本 篤史
技術/コース担当。
■本 義弘
計時/コース担当。
■坂本 純弥
コース担当。
■安藤 康二
計時担当。
■中尾 コージ
コース担当。

■山本 ナオミツ
コース担当。
■岩田 義通
事務局担当。


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■明智 小太郎
ある時は謎のライダー、またある時は風船男爵。子供と女性にめっぽう弱い・・・。
■鈴木 巧真
時々ライダー、時々ビデオ班。川崎なんちゃらは卒業したらしい。
■マキ
時々ライダー、時々RQ♪
お客さんを勝手に使ってます。^^
■中川 卓哉(ルパン)
90年代は明智でトップ争いをしていたライダー。撮影は趣味が高じて今やプロ級。(撮影)

 

代表:岩田 義通 岐阜県美濃加茂市西町6-6 0574-25-8332

1973年 筑波サーキットで4輪ジムカーナの軽改造クラスにフロンテクーペ・LC10で参戦。
シーズン途中からの出場ながらシリーズチャンピオン獲得。
1975年 鈴鹿シルバーカップレースのサルーン(ノーマル)クラスにサニークーペ・B110で参戦。
シーズン途中からの出場ながらシリーズチャンピオン獲得。
1976〜
1980年
自作TS(改造)クラスのサニークーペ・B110で鈴鹿の耐久レースに参戦。最高位は総合7位・クラス3位。同時進行でJAF公認クラブを主宰し、ジムカーナ・レース等の競技会主催も開始する。代表を含むクラブ員数名は、コース・計時・技術のオフィシャルライセンスも取得し、中にはF-1・GP・8耐などで長年副計時長を努めた者も居る。(明智の初期10数年は彼が競技長兼計時長を務めてくれた)
1982年 岩田オート設立、自営業となる。(後に 株式会社 岩田オート)
本業の傍ら、自動車教習所やカートコースを借用し、ミニバイクレースの主催を開始する。
1983年 鈴鹿シルバーカップレースのサルーン(ノーマル)クラスにスプリンタートレノ・TE47で参戦。9月に水害でマシンを失い、後半不出場ながらシリーズチャンピオン獲得。
1986年 (財)中日本オートスポーツの評議員を仰せつかり、全長約4kmの本格サーキット設立に動くも社会事情で頓挫する。敷地内余地にミニサーキット設立を進言、受理の後設立までの一切を任され、コースレイアウト図面も描き、全長650mの「中日本サーキット」が誕生、ここで本格的にミニバイクレース主催が始まった。
'80代後半

'90代前半
知り合いのコンピュータ会社社長と共に、持ち運び可能な独自のプリンティグタイマー計測器を開発、自前レース以外にも依頼があるとスタッフを引き連れて「鈴鹿南コース」「近畿スポーツランド」「生名サーキット」「榛名モータースポーツランド」などへ出張した。
当時はハイグリップタイヤは存在せず、ミニバイクレースに着目していたIRCタイヤのハイグリップタイヤ開発にも協力した。(後にエスカレートし12インチスリック・レインタイヤまで作っていただいた・笑) 元来機械いじりが好きで、Hi(FS)やNSR・MBX(S12・S50)、CR(S80)の改造もし、Hiは榛名バトルロイヤルで最速タイムをマーク、NSR(S12)はまるち4耐津保川でポールポジション獲ったこともある。
1989年 サーキット秋ヶ瀬でミニバイクレースを運営されていたB氏と二人で、当時のモトチャンプ編集長M氏を口説き落とし「まるち杯」を誕生させ、翌年からまるち杯東日本シリーズ、まるち杯中日本シリーズを発足させた。(後に関西や九州等も追加された)
1990年 オーナー会社の事情で中日本サーキットが5月に突然の閉鎖。ミニバイクレース開催場所を失い、自前のサーキット設立を決意。場所探しに奔走すること数ヶ月、ご縁のあった明智に決定し、自己資金10%、銀行融資90%で着工した。
1991年 開業に当たり(株)アイアンドエイを設立し、明智ヒルトップサーキットの営業を開始。
1992年 休眠していた[まるち杯]を復活、津保川カートランドとジョイントし中部シリーズ戦を組む。
1996年 JMCCというミニバイクレース全国大会が'95年で終了したのを期に、前出の編集長M氏と協議の上「まるち杯全国大会」を発足させた。(当初は明智のみだったが、後に持ち回りになった)
2002年 事情により(株)アイアンドエイを休眠、個人事業に切り替え当時従業員だった故・小藤氏に独立していただき営業継続。
2015年 故・小藤氏が病気療養で2014年末に退任のため、10数年振りに再び現場復帰。
2015〜
2017年
老朽・荒廃していた付帯施設等の改善に着手、ピット等構築物の塗装・水洗トイレの新設・ピットロード進入路の新設、計測システムの新調等々を実施。

 


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